「Mrs. Harris Goes to Paris(ミセス・ハリス、パリへ行く)」は、2022年公開のイギリス、フランス、ハンガリーの合作(主にイギリス制作)の映画。
原作は、ポール・ギャリコによる1958年の小説「Mrs. ‘Arris Goes to Paris」。旧日本語訳のタイトルは「ハリスおばさんパリへ行く」でしたが、2022年の映画公開に合わせた新装版(角川文庫)では「ミセス・ハリス、パリへ行く」に変更されています。
1992年の「Mrs. ‘Arris Goes to Paris」も同時に観たので比較しています。
1950年代のロンドンで暮らす未亡人の清掃婦エイダ・ハリス夫人は、雇い主が所有するクリスチャン・ディオールのドレスに心を奪われ、自分でもドレスを手に入れるためにパリへ向かいオートクチュールの世界に足を踏み入れます。階級差や厳格な規則に直面しながらも、ディオールの従業員たちと友情を育み労働問題にも関わりつつ、夢のドレスを手に入れます。
キャストは、レスリー・マンヴィル、イザベル・ユペール、ランベール・ウィルソン、アルバ・バプティスタ、リュカ・ブラヴォー、ジェイソン・アイザックス、エレン・トーマスなど。
オープニングタイトルの背景には、1950年代のクリスチャン・ディオールのファッションイラストレーターであるルネ・グリュオーを思わせる、エレガントな線画とブラッシュストロークが用いられています。(画像は引用目的で使用しています)
Mrs. Harris Goes to Paris (ミセス・ハリス、パリへ行く )あらすじ
1957年のロンドン。清掃婦のエイダ・ハリス(レスリー・マンヴィル)は、第二次世界大戦で13年行方不明になっていた夫の死をイギリス空軍からの手紙により確認します。
親友のヴァイ(エレン・トーマス)も清掃婦で、職業柄、日ごろから「私たちはinvisible women(見えない存在)だ」と話します。「invisible」はこの映画のテーマキーワードのようで、清掃婦や労働者階級の女性が社会の中で「見えない存在(invisible)」として扱われていることを象徴しているようです。
二人が飲みに出かければ、その店にたいてい友人のアーチー(ジェイソン・アイザックス)もいて飲んだり新しい恋人と踊ったりしています。ブックメーカー(競馬場やドッグレースなどの懸け屋)に勤める彼は「今日は運がよかった」と二人に飲み物を奢ってくれます。
レスリー・マンヴィルは「クランフォード」のローズ夫人や「北と南」のヘイル夫人で控えめで品のある役どころでしたが、エイダはロンドン下町の誠実で優しい未亡人。彼女はどの役でも可愛らしさがあります。アーチー役のジェイソン・アイザックスは、ハリー・ポッターシリーズでルシウス・マルフォイ役(マルフォイの父役)で有名です。悪役が多い俳優ですが、ここでのアーチーはエイダを気づかう素敵な男性です。
クライアントたちは真面目に働くエイダを重宝しますが、やはり清掃婦は日陰の存在。クライアントの一人の紳士はいつも異なる「姪」を連れており、自然と守秘義務を果たすエイダ。(上流階級の紳士が「姪」を連れている描写はイギリスのシットコム「To the Manor Born」でも登場)また、若いクライアントで女優志望のパメラは、部屋がよく散らかり、服装のトラブルも多く、そして少し軽率なところもあるため、エイダがしばしば助けます。別のクライアントのダント家では、ダント夫人は話をはぐらかしてなかなか支払いをしてくれません。
しかしダント夫人が新調したクリスチャン・ディオールのオートクチュール・ドレスに強く心を奪われたエイダ。値段が500ポンドだと聞いて驚愕するものの、自分もパリへ行ってディオールのドレスを手に入れると決意します。
パリ行きの資金を作るため、エイダは清掃サービスが必要な人がいれば紹介してほしいとクライアントに頼み、「Invisible Sewing」の広告を掲示板に貼ったり、バスを使わず歩き始めたりします。ここでも「invisible」が登場。この場合は「まつり縫い」や「ブラインドステッチ」を指します。エイダは裁縫の技術を持っていたのです。
彼女が手帳に記録する貯金の金額は「3s/6d」や「£78 7s/9d」といった当時の通貨表記。「3s/6d」は「3シリング6ペンス」(旧イギリス通貨、1971年以前)(dはペンス(penny/pence)の略で、ラテン語のdenarius(ローマ貨幣のデナリウス)に由来)。
エイダは、プール(football pools)と呼ばれるサッカーの試合結果を予想する賭けで勝ち150ポンドを獲得。次にドッグレース会場で、出場犬の中に「Haute couture(オートクチュール)」という名前を発見し「これだ!」と100ポンドを賭けます。(当時の100ポンドは、現在のおよそ60万円ぐらいに相当)ヴァイだけでなく、会場で受付をしていたアーチーも止めるよう何度も忠告するものの、エイダは聞きません。そして残念ながら大敗してしまいます・・・。
しかし失意のエイダのもとに思いがけない出来事が続きます。
まず、役人が訪ねてきて、1944年から未受給だった遺族年金が支払われると告げます。次に、警官がやって来て、エイダが数日前に拾った指輪を警察に届けたことにより、持ち主が正直な行いへの報償を支払いたいと申し出ていると伝えます。さらに、アーチーがエイダの賭け金の一部を密かに別の勝ちそうな犬に賭け直しており、元金に上乗せした金額を持ってきたことを明かします。アーチーはそのお礼として、コミュニティパーティでダンスの相手になってほしいというのです。
こうして、エイダがパリへ行くための条件が一気に整います。
オートクチュールという高い敷居
エイダがフランスに到着し、クリスチャン・ディオールへ向かう道中、路上のあちこちにゴミが積み上がっており清掃員がストライキ中であることを知ります。
クリスチャン・ディオールでは、ちょうどコレクションの発表会が始まるところ。受付にいたマダム・コルベールによってエイダは追い返されそうになります。しかし、シャサーニュ侯爵(ランバート・ウィルソン)の配慮により、彼と共に会場に入ります。エイダはコレクションのすべてに心を奪われます。アーカイブから再現したドレスということで、少しレトロな雰囲気がありつつもシンプルで、ラインやカットの美しさが際立っています。体にぴたりと合うオートクチュールを身にまとったモデルたちの姿も見事です。
エイダを快く思わない太客のマダム・アヴァロンは、エイダの隣の席を嫌がりながらも、エイダが書いたドレス番号を同じように書き留めたり、エイダの様子を細かく見たりしています笑。マダム・アヴァロンの夫は、パリのゴミ収集と廃棄物管理事業を担っており、労働者への未払いが原因で現在ストライキが起きています。
エイダは特に「テンプテーション(誘惑)」を気に入り、発表会の後で注文すると、マダム・アヴァロンがそのドレスを横取りしてしまいます。太客の彼女にクリスチャン・ディオール側も強く出ることができず、エイダは一度は諦めかけます。しかし、クリスチャン・ディオールのスタッフは、熱心にエイダの第二希望の「ヴェニス」を勧めます。ただしオートクチュールであるため、体に合わせた仕立てが必要となり、採寸やフィッティングのため、エイダはしばらくパリに滞在することに。会計担当のフォヴェル氏(リュカ・ブラヴォー)の姉の部屋に滞在することに決まります。
エイダは、クリスチャン・ディオールのモデルのナターシャ(アルバ・バティスタ)と親しくなります。ナターシャが車でフォヴェル氏のアパートメントまで送る途中、エッフェル塔やコンコルド広場の噴水、オペラ座など、市内の名所を通ります。到着後、二人は散らかっていたフォヴェル氏の部屋を大掃除。
エイダは夕食に「トード・イン・ザ・ホール(Toad in the hole)」を作ります。フォヴェル氏とナターシャはともに、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルに関心を持ち、そして彼はナターシャにひそかに好意を寄せていました。
本来は二週間ほどかかる工程を、エイダの滞在期間に合わせて、スタッフは急ピッチで作業を進めます。ところが、エイダはシャサーニュ侯爵と出かけた夜に飲み過ぎ、翌日の予約に遅刻。ドレスの制作は中止だと告げられてしまいます。
マルグリット(ロクサーヌ・デュラン)は、落ち込むエイダをアトリエに案内します。そこでは裁断、刺繍、羽飾りといった工程をそれぞれ専門の職人が担い、時間と技術を重ねて一着が作られていることが示されます。すると、なぜかアトリエで作業を手伝うエイダ笑。そのせいもあって、ドレス制作は再開されることに。
マダム・コルベールは、クリスチャン・ディオールのドレスは社交界の華やかな場所のためにあるのに、清掃婦のエイダがなぜそれを望むのかと疑問を抱きます。ここでもエイダの存在は「invisible」と表現されます。自分の夢だからと答えるエイダ。ドレスを持つことで幸せになれるなら、それでも十分ではないかと思います。
フォヴェル氏は、高級ブランドが経営的に追い詰められている現実や、夢や虚飾に支えられてきた世界の生き残りの危機感を語ります。エイダはオートクチュールのような限られた世界でも、清掃婦が現金でドレスを購入できるのだから市場を広げたらどうかと意見します。フォヴェル氏なら実現できるはずだと評価し、励ますのです。
二人はナターシャが出演する映画のプレミア会場の近くを通ります。映画のタイトルは「L’amour Invisible(見えない愛、目に見えない愛などの意味)」で、ここでも「invisible」という言葉が登場です。
エイダをよく誘うシャサーニュ侯爵は、彼女に惹かれていたといよりも、彼が子供時代に好きだった掃除婦の「Mrs Mops(モップス夫人)」にエイダが似ていて懐かしんでいたからだということを知り、エイダはがっかりします。1992年版の映画ではエイダがそれを偽名で使います(後述)。
ストライキを組織するエイダ
フィッティングに来たエイダは従業員が何人か解雇されたことを知り、無関心ではいられなくなります。マダム・コルベールが制止する中、従業員たちを引き連れてストライキを起こすと言い出します。
そして、クリスチャン・ディオール氏本人のオフィスに押しかけ、フォヴェル氏に彼の構想を説明させます。それは、限られた富裕層だけでなく一般の女性にも手の届く贅沢品で世界に展開すべきだというアイデア。ディオール氏はそれを受け入れます。それにより解雇どころか従業員を大幅に増員する見通しが示され、一同は喜びます。
しかしマダム・コルベールは、新しい方針を理解しつつも自身が変化を受け入れられないと退職してしまいます。これまでディオール氏を陰で支えてきた自分は「invisible」だったと語るマダム・コルベールに、エイダは彼女こそ今まで以上に必要とされる存在であり、彼女でなければブランドは回らないし、皆が頼りにしているのは自分たちのような女性だと説得します。
エイダが明日にはナターシャに自分の想いを伝えるようフォヴェル氏に言うと、ナターシャは今日付けで退職したとマダム・コルベールから知らされます。駅まで急いだエイダとフォヴェル氏は、ナターシャを引き止めます。彼女はモデルとして飾られる生活に耐えられず本当の自分として生きたいと語ります。哲学的な言葉を交えながらフォヴェル氏は自分の想いを伝え、二人は結ばれます。
ロンドンに戻るも・・・
念願のドレスを手に入れてロンドンに戻ったエイダのもとに、女優志望クライアントのパメラが押しかけてきます。彼女は大事な晩餐会に出席しなくていけないのに、いつものようにドタバタしており、着る予定のドレスは汚れており、他のドレスもクリーニングに出していて使えず、途方に暮れています。エイダは迷うことなく自分が苦労して手に入れたディオールのドレスを貸すことに。
しかし翌日、パメラの家の清掃に行くと、置いてあったのは焦げてしまったエイダのドレス・・・。パメラの置き手紙は「私は大丈夫だから心配しないで」というなんとも身勝手な内容。エイダは彼女の掃除婦をやめます。
その後、なかなか給料を払ってくれないダント家を訪ねると、ダント夫人は、パメラの事件の記事を読んで「ひどい宣伝工作だ」と揶揄します。エイダは夫人に給料をきちんと支払うよう求め、ここでの掃除もやめると告げて出て行きます。
傷心したエイダは、焦げてしまったドレスをアルバート橋の上から投げ捨ててしまうのです・・・。
92年「Mrs. ‘Arris Goes to Paris」と比較
1992年の映画は、原作小説のタイトル通り「Mrs. ‘Arris Goes to Paris」。
Mrs.「‘Arris」の「H」が抜けているのは、ロンドンの下層階級の発音、いわゆるコックニー訛りを反映したもの。アポストロフィによって「H」を省略しています。
1992年版のエイダは、従来の邦題である「ハリスおばさん」という呼び方がよく合っていると感じます。こちらでは、エイダのロマンスやパートナーの描写はほとんどなく、友情が多く描かれます。
清掃婦のエイダ(アンジェラ・ランズベリー)は、仕事先の家でクリスチャン・ディオールのドレスを目にし、パリへ行くことを決意。バスに乗るのをやめたりお酒やたばこを断ったりして、三年間こつこつと貯金します。途中でプールに勝ったり、宝石を警察に届けた褒章金を受け取ったりしますが、戦争未亡人の給付金やドッグレースは登場しません。親友のヴァイは、最後まで「パリへ行ってドレスを買ってどうするのか」というスタンス。
パリに到着したエイダは、クリスチャン・ディオールへ向かいます。そこには階級意識の強いフランス人男性スタッフのアーモント氏(ジョン・サビデント)がおり、エイダを門前払いしようとするだけでなく、ドレスを購入させないよう妨害します。一方、マダム・コルベール(ダイアナ・リッグ)は非常に協力的で、侯爵(オマー・シャリフ)の助けもありエイダは心の底からコレクションを楽しみます。
エイダが「テンプテーション(誘惑)」の購入を申し出ると、エイダの寸法に合わせた制作になるため三週間かかると説明されます。エイダが長く滞在できない事情を知り、スタッフは毎晩作業し毎日フィッティングを行うことで一週間で完成させると約束します。スタッフがとても協力的でフレンドリーです。
エイダはフォヴェル氏(ロテール・ブリュトー)の姉の部屋を借りることに。1992年版でもフォヴェル氏の部屋は散らかっており、掃除婦であるエイダがナターシャ(タマラ・ゴルスキー)と一緒に掃除をして腕を発揮します。こちらのナターシャもとても可愛いです。フォヴェル氏はナターシャに好意を抱いていますが、ナターシャにはすでに恋人がいて、彼を単なる会計担当という認識。エイダは仲人のように二人の仲を取り持とうとします。
侯爵は花市場に通うのを日課としており、その理由は近くの小学校に通う孫を見るためで、娘と仲たがいしており、娘にも孫にも数年会っていないと語ります。エイダについては、最初から「知り合いのモップス夫人に似ている」と話しています。
他の上流客から「イギリスの庶民的な女性にドレスを売るのはブランドの格を落とす」という反発が起こったこともあり、アーモント氏はエイダのドレス制作を禁じます。スタッフの提案で別名義で制作を進めることになり、エイダは「モップス夫人」という偽名を使います。
エイダは公爵の娘に直接会い、疎遠になっている関係を修復するよう説得します。公爵の問題だけでなく、エイダはマダム・コルベールの抱える問題も解決してしまいます。そして、フォヴェル氏はナターシャを侮辱する恋人を追い払い、二人の関係は前へ進みます。
ロンドンに戻ったエイダは、ヴァイにドレスを見せます。ヴァイはエイダが無事に帰ってきたことを喜びますが、そのドレスの価値は、彼女には最後まで伝わらなかったようです笑。
おわりに
2022年のレスリー・マンヴィルも、1992年のアンジェラ・ランズベリーも、どちらも素敵な「ハリス夫人」です。2022年版では、クリスチャン・ディオールの公式アーカイブやチームが衣装制作に協力しているとのことで、1950年代の本物のデザインが再現されています。素敵なコレクションなので必見です。
1992年版は全体的に軽やかな印象ですが、2022年版では階級やストライキ、ディオール危機などが追加されています。




